1983年7月、東門書屋から刊行された石昌子による杉田久女の評伝。石は杉田久女の娘。帯文は永井龍男。
母杉田久女について私の思うことの一端を折にふれ書いてきた。こんど「久女伝説について<検証>」の一章を加え、ひとつに纏めることが出来た。私にとっては人生の体験記録ともなって感慨は一入深い。
母について私は何を思い何を訴えたかったのだろう。それについては重複をおそれず本文で述べてきたはずである。ただ、充分に述べ得られたかどうかを不安に思うだけである。
久女と生活を共にしたこともなく、深い交りも全くない第三者から無責任な解釈、誤解をうけ、興味本位に歪曲されてゆくことはおそろしい。俳句を芸道として真に打ちこもうとし、また打ち込みもした人間の真意を掘り下げることはせず、精神分裂という風評を誇張して(矛盾の多い生き方を掻き撫でて)扱われることは何としてもやり切れない思いでうなずけないのであった。が、あえて私は逆らうことなく長年月を過ごしてきた。虚子先生に恩をうけた人々は多く、従って久女除名に端を発した久女個人のことには誰もふれず立ち入って考えようとする人々は皆無といっていいほどで、何をいっても無駄な気がしたからである。今迄に公然と久女のためその心情に筆を執ろうとする人はいなかった。永遠にいないのだろうか。そうして誤解と歪曲にさらされた母の姿をそのままにし、私も死期を迎えるに至る瞬間を思うと、苦しくて寒気がする。こんなみじめな思いを私も残して死にたくはないのである。
久女は矛盾の多い人生を送ったが、母の日常の生き方が曇っていたり、あいまいだったり、真剣な真心に欠けていたりしたなら、親であろうと私は到底これ程に心を動かされなかったことは確かである。活字で述べられている偏見に対しては活字で心証を披瀝し、自分の心のやすらぎを得たいと思う。(石昌子)
目次
- 第一章 久女記
- 第二章 久女伝説について(検証)
- 第三章 久女追慕
- 第四章 折々の記
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