1996年12月、花神社から刊行された三木宮彦の第1詩集。
世に会うべきひとがあり、読むべき書があるならば、知るべきでなかった言葉もあるだろう。
私の場合は、フランシス・ジャムの「二十歳になってまだ詩人だというのは、いいことだと思うか?」と自問する詩であった。当時私も投稿してもボツばかりで、三十歳をすぎてくたびれ始めていたから、これはこたえた。しばらく休んで考えよう。もしそれでも書きたくて書きたくて仕方なければ、私も本物の詩人なのだ。
――天才の真似などするものではない。私はそれっきり書けなくなってしまった。
ところが七、八年前、ある同人雑誌に誘われた。しかし散文は商売道具だから、それと違う分野の作品にしたい。ウンウンうなっていたら、第一部におさめたようなのがいくつか出来あがった。多分どれも技巧倒れで詩とは言えぬやつばかりだろうが、とりあえずしばらくページを埋める役には立ったのである。
けれども最近はまたくたびれてきた。
ソネットという詩型には、私はマンネリは感じない。いつも内容に明るさがないのが気になるのだ。愛とか戦いについての詩なら誰かを励ますことがあるかも知れぬが、こう消極的で暗くては、精神衛生に悪いだけだろう。もっとも、私のゆううつ癖は、一九四五年八月十六日の自分や他人の変り身ぶりを見て以来何度も同じ経験をしたせいだから、おそらく一生改善されまい。
幸か不幸か、ここにアナトール・フランスの言葉もある――「古本屋に入るたび、本は書かずにすめばそれに越したことはない、と私はわびしさを覚える」。
ところが、消費税が5%になる! 一度税率を上げたら、ニッポン官僚社会では絶対に下げることはない。実は私にも臆病なうぬぼれがたっぷりあって、いずれ詩集は出したいが、香典で作ってもらうことにした方が安全かと思案していたのである。だがこの調子では、ノンキに構えていたらその時一体いくら誰に負担をかけるかわからない――というわけで、今回、紙資源のムダの問題にはあえて眼をつぶることにしたしだいだ。
こんな言い方は、この小冊子を作るために一所懸命に働いてくれた皆さんに対して大変申しわけないだろう。これもうぬぼれの裏返しの表現なのだとは知っているが、正直に書くとこうなる。
従って「スタイルは古いがそれなりに読める」と言って下さる方があれば、それは皆の努力がムダでなかったのを示すもので、私としては素直な気持ちで嬉しい。まあ今後も「読んでくれる人がいれば書きます」という線でゆくつもりではいる。
昔の作品のうち短いものを第二部、長いものは第三部にまとめたが、その中には当時はまだ誰にも気づかれなかった問題をテーマにしたものもある。私はそのことを誇りに思う。しかし同時に、その解決を目指して一直線に努力しなかったことを恥ずかしく思う。
(「あとがき」より)
目次
第Ⅰ部
- 北国にて カリヨンの試み
- 枕頭にて TSに
- ペーター・K頌
- 新春戯詩Ⅰ霊界大流行にあやかって
- 新春戯詩Ⅱ
- 人魚戯歌Ⅰ
- 人魚戯歌Ⅱ
- ImitatioKästneri
- 恐竜
- 東海道にて
- EttBlodbad
- 居眠りの弁解
- ジョナスがリトアニア語の詩を朗読する
- シノンにて
- 海市
- 市(いち)にて
- 夜汽車
- 間氷期
- 旅宿にて
- 劇場
- 一九九二・六・一五
- ムーズ河のほとり
- アレグレット
- 秋風賦 寒川(さがわ)駅幻想
- サティ風のオペラ
- 散歩は閑雅に
- 船と夢
- 謝す 東海のT御夫妻に
第Ⅱ部
- 断唱
- 古詩に擬す
- 断片
- ラファエロ
- キーツ
- 矢と歌
- 鳥と子供と
- 「栗色の髪の女」(A・ドラン)
- 船上にて
- UNALEGENDAREPETIDA
- 賢治とムソルグスキー
- 夏
- 眼
- 月の出
- 青春図 ラクシュマン舞踊団とスリランカ獅子窟壁画展と
- 蛾の少女 アンリエットと名づけて
- モーヌの霧 アラン・フルニエを愛するFに
- 春
- 梅雨
- エロシェンコ頌
- 食堂にて
- 年の初めに
- 津波の来る日
- 夜半
- 木々と岩と
- 旗
- 氷の花
- おとぎばなし
- 桑の木の踊り
- 宿直者の朝の歌
- 室戸岬にて
- 養生訓
- 春、歩く
- 驟雨に寄す ラプラードとヴラマンクと
- 小公園
- 地層 土佐国入野松原
- 声
- ある晴れた日に
- ある絵に
- 時計
- ふと見る
- 海のもや 若狭小浜にて
- 郊外点描
- あまり面白くない詩
- 些事
- 舎利観
第Ⅲ部
あとがき