1982年3月、海風社から刊行された田中宏和の第1詩集。装幀は小川幸敏。
詩がどんなとき書かれるか、という問いかけにたいしては人さまざまにいろいろな答えが準備されるだろう。身近かな例でたとえても、詩は感情だと言ったのは萩原朔太郎であり、詩は批評だと言ったのは小野十三郎である。こんな風に詩に定義を求めることさえ困難であり、まったく人それぞれの自由のうちにあると言っても過言ではないだろう。
田中宏和さんは和歌山県の東北端にある橋本市の図書館に勤務する独身の青年である。ちょうど二年前、橋本文学研究会の主催する詩話会に招かれていって、会の会長である光村図書の岡本隆夫氏の紹介で知りあった。
橋本市はふるくからの紀の川舟運の河港で、大阪から紀見峠をへて高野山に登る高野街道と、紀の川筋に沿う伊勢街道が交差する交通の要衝であり、今は眞田幸村で有名な九度山が眺望できる静かな田園都市である。街のたたずまいは美しいが、それだけに土地柄は古風で閉鎖的であり、若者たちの文化運動その他についても低湿地であると、会ったその日会の了えたあとの喫茶室で田中さんは歎いてみせた。彼は市の職員のひとりとして図書館開設に努力した人であり、同時に会員百三十名を擁する橋本市の勤労者の組織である文化研究会の中心メンバーである。その意味では彼は地元に根ざした根気のある誠実な活動家である。
今回の詩集『ラブ・ゲーム』は、このとき私に出会ってから二年のあいだに書かれた作品のうちから編まれている。彼は詩作の契機を私との出会いのなかで求めているが、私の記憶ではこの詩話会の席上、文化研究会の機関誌『まんげつ』からいくつかの作品例を引いたとき、すでに作品を発表していたと思う。『あとがき』で詩は生きることという認識について彼は書きとめているが、私との出会いがほんとうに中心軸になるのであれば、それはこのような詩にたいする認識の問題だと言う風に私はかんがえておきたい。つまり彼は自覚的にそのときから詩を書きはじめたのである。もしその自覚がなにびとにも正当に見えるとすれば、それは私にとってもこの上ない栄光である。
彼の作品は、一口で言って抒情詩である。自然のさまざまな事象や虫たちがたえずはらはらとふりかかる。あるいはまた素直な人間直視の態度で一貫している。比喩の質も一元的でまだそれほどはねばっこくない。『顔』『火』などの作品を見ればそれはすぐわかるであろう。技法的な意味からでも、作品を書いている時間がすくないことと合わせて、これからにのこされている課題はかぎりなく多い。
だが、彼は今回の詩集の上梓を、人生的なとおい未来を俯瞰した上のひとつの契機にしようとかんがえているようである。つまり技法的なものはさておいても、詩の本質的なものへ接近しようと努力をしている。このことを私はひじょうに大切にしたい。なによりも言葉へむかう態度を大切にしたい。
表題になった『ラブ・ゲーム』は本来はテニス用語であり、いわゆる無得点ゲームにたいする愛称である。一見虚無的にも見えようが、辞書にも「ゲームを愛するゆえ」とあり、人生を愛するゆえとここでは私は解釈しておきたい。なによりも詩をとおして人生にたいして誠実であることを祈りたい。
(「跋/倉橋健一」より)
目次
- ティー・カップ
- JET・3Z
- 都市の朝
- 正午(ひる)の魚
- 夜陰
- カマキリ
- カブト虫
- 屑鉄
- 影
- 少女
- 尻
- 月
- 金平糖
- 樽
- 火
- 顏
- 疾走
- 青い沖
- サスペンスのなみだ
- 紫其(ぜんまい)
- 23.5cmのさつまいも
- 時間
- 子宮
- 夢のなかの夢
- 柿の木
- 水晶
跋 倉橋健一
後記