2017年2月、ながらみ書房から刊行された梅地和子(1939~)の第3歌集。装幀は君嶋真理子。著者は東京都生まれ。
晩秋の夕暮れが金色に光っている。そこへ飛行機が一機焼きつくすような炎を残して、地平線の彼方へ消えて行った。
無能を絵に描いたような老いた私。三年前のこと、吉祥寺という街に三代目の嫁は七十を越え一人住まいの生活をしていた。
女詐欺師に、あっけなく裸一貫にされた。私は認知症という診断書の存在に負けた。詐欺師と組んだ精神科医と弁護士が存在した。全く面識のない人々だった。夕陽だけ見える朝光のないマンションに移った。命からがら逃げ出した終の地は、六畳二間とバス・トイレのある空間だ。三年が過ぎた。タクシーで辞典類と「佐多稲子作品集」十五巻を持ち出すのが精一杯だった。
失った家の広間の壁一面に、絵や書がたくさんあった。中村草田男氏の代表作「降る雪や明治は遠くなりにけりめだか庵にて」とあった。色紙は祖父・梅地慎三のめだか庵にて」とあった。色紙は祖父・梅地慎三の代からのものであり、刻をくぐりボロボロになっていた。めだか庵は祖父の代からの呼称でもあった。色紙には草田男氏が祖父に送った重要な書き込みもあった。が、何故か持ち出していない。「樹影」と書かれた坂上弘氏の色紙を私は抱えてきた。何故だか無我夢中で記憶にない。「樹影」は佐多稲子先生の代表作の一つで、野間文芸賞の受賞作品名なのだ。貧しさに負け小学校五年で中退し、東京の下町に移り住んだ彼女にとって、長崎は魂の故郷だった。無縁になっているその長崎の地に、実力者が文学碑建立を実現させた。碑に刻まれた文字が「樹影」の冒頭の言葉だった。
若き日多忙な佐多稲子先生が私に言った。「慶應の坂上弘さんだけは別よ」。前後は覚えていない。私が会員である「三田文学」の理事長が、坂上弘氏であることに最近気付いた。中村草田男氏の色紙は紛失した。坂上弘氏から送られた紅白の包装紙に包まれた「樹影」という色紙が、今は桜三角の額に収まっている。右上に読めない朱印があり、左下には僅かに弘と読める朱印が収まっている。
私は法政大学の二部で、小田切秀雄先生に学んだ。偶然、佐多稲子先生の卒論第一号ということだった。若き日、小田切秀雄先生の導きで佐多稲子先生を紹介されていたのである。人間の生命とはドラマそのものだ。そこに芸術が現れ、詩が生じ、絵画が癒す。小説とは何の役割を果たすのであろう。極限を乗り越えてゆく人間のへの指標かも知れない。
秋の夜更けに運命を実感しつつ、七十七歳かと呟く。坂上弘氏贈の色紙だけの壁を見つめ、過去を手繰り静かに咳きこむ夕暮れである。
本集は歌集『鬱の壺』、『佐多稲子小論』、歌集『静かな炎』に続く私の四冊目の著作である。その巻頭に、小学校時代以来の畏友で高崎経済大学名誉教授の飯岡秀夫氏より懇切な序文を賜った。深謝し心より御礼を申し上げる。また、出版に際しては、ながらみ書房の及川隆彦社主ならびに爲永憲司氏にお世話になった。あわせて御礼を申し上げる。
(「あとがきにかえて」より)
目次
- 序 飯岡秀夫
- 夜明け
- 羞しかる愛
- 都会の孤独
- 十六夜の月
- 夕暮れに待つ
- 春彼岸
- 頼れる人よ
- 三日月仰ぐ
- 毅然と
- かえりみたれば
- 礎
- 単純な苦痛
- どこまでも
- 流星
- 裸となりて
- 惜しみなく
- 赤と白の光
- 真実の恋
- 死の河
- 華と燃ゆ
- 胸底にぶく
- 残命
- 十月の空
- 雨の日の鳩
- 半円
- 近づく朝を
- 名の知れぬ小鳥
- 心の扉
- 宇宙の一点
- 彼方に浮かぶ
- 神の手の影
- 若葉雨
- 見舞い
- 夫の背
- 荒川無縁墓地
- 命を磨く
- 太陽に花に風に
- それぞれの愛
- 淡き紅
- 呟いた言葉
- 秩序への回帰
- 雲の絵
- 救いの一歩
- 雨後の空
あとがきにかえて