
1976年1月、新日本文学会出版部から刊行された内田博(1909~1982)の第7詩集。新日本文学会・詩人叢書。刊行時の著者の住所は福岡県大牟田市。
この詩集は「三里船津」につぐ私の七番目の詩集になります。「三里船津」以後、早くも五年ちかい歳月がすぎましたが、これはほぼ、この四年余の間に書いた作品をあつめました。頁の都合上、いくつかのものを外しましたが。
この期間、からだ、はたらきの衰えということがあり、残念ながら詩誌「コスモス」も退身、その後は京都、児玉誠さん発行の「煙」、大牟田、長山不美男さん発行の短歌誌「母船」、私たちが出しました「耕」などに詩を書いてきました。何か自分でも、ひそかに詩を書いてきたとの思いがあります。
しかし、ひそかに遅々としたあゆみながら、やはり革命原初のすがた、原点、道すじの考察ということへの、すこしでも身をにじりよせたいとの思いがあった。しかし、それはあまりに弱く、破れめだけを残したとの思いがあります。
友のひとりが「思想上の混乱、矛盾撞着を抱えこんで生きている内田が」云々と書きましたが、微笑うかべつつ、なかばそれをうべなう思いです。身をにじりよせる考察と言っても、読んでいただければわかるように、それは未だ形さえなさぬものだ。しかし、ほんの半歩からだを動かそうとする時、ふかい矛盾撞着、渦まく波濤を感ぜざるを得ず、軀の衰え、おのれの鈍重さということが、いっそうそれを深めていくようです。
そのことを「思想上の混乱」とはみじん思わぬが、そこでぶざまに私がひきちぎられる、乱れるということを、当然のこととも私は思います。どうも、開き直ったようなもの言いになりますが、そうなのです。
この詩集は思いがけず野口清子さんの紹介、新日本文学会出版部、徳留徳氏の尽力により実現しました。倖わせなことと思っています。めんどうな解説を引き受けて下さった且原純夫氏、側面から支援して下さった人々に心から謝意を表します。
(「あとがき」より)
目次
- 夜の歌――歌会終って
- 夜の歌――友ひとり
- 夜の歌――濁り水面
- 夜の歌――廃船
- 夜の歌――腹の中の石ころが
- 夜の歌――雪女
- 夜の歌――雨中西駅前
- 夜の歌――老人泥酔す
- 夜の歌――夏日
- 夜の歌――夜みち石ころ
- 夜の歌――南荒尾駅
- 夜の歌――ぼんやり亡霊
- 夜の歌――鏡
- 冬空の下を
- 寒い日
- 鍋田先生
- 忘れ得べき
- みかん
- 雨天
- はるかに遠く
- 葉桜
- 暗い夜の記憶
- 茫然としてそこに
- 二月十一日
内田博小論 且原純夫
あとがき 内田博