2005年11月、以文社から刊行された八重洋一郎(1942~)の詩集。装幀は難波園子。
比較するのも滑稽ではあるが、ダンテは人生の半ばに暗闇の森へと迷い込み、私は空、海、土地、風ともに限りなく澄明な「南」へと帰ってきた。
そしてその美しい自然の中で、かつてわたしたちの祖先は直情的詠嘆以外何ものをも方法化できず意識化できず、伝えるべき記憶さえ形象化言語化できずに裸のままただ時間の中に流浪してきたのであった。
しかし何ひとつ積み重ねることはできなかったとはいえ、この最果ての島々、小さなみじめな島々にも人間が生きてきたという事実、細々とながらもいのちが継続してきたという事実だけはあるのであって、世の価値観からすれば全くの「虚」としか考えられないそのような事実を事実としてみつめる以外、貧弱なわたしたちがわたしたちの生活を始める足がかりはないように思われる。
風のように波のようにあとかたもなく消えていったわたしたちの記憶、たとえそれが砂粒ほどの頼りないものであったとしてもその記憶を探り出さねばならない。太陽に焼かれ潮風にさらされ白化したわたしたちの骨に何か刻みつけられていはしないか。
わが記憶の地獄めぐりのなんという明るさであったこと、そしてその明るさがなんという暗さであったこと。私は帰郷して数年この「明るい闇路」とでもいうような二重空間を放浪し続けてきたのであった。
何が闇路か、端的に言ってそれは歴史である。歴史という圧搾装置にかけられた無力な幼児のはかない悲鳴。だが私は私が聴いたその悲鳴については何も言うまい、何も語るまい。言葉にすればそれは必ず言い足らず、しかも私の思いをことごとくはずれてしまうだろう。私はもっと確実にもっとポジティブに歴史に拮抗し得るもの、いや歴史を超えることさえできるものを求めよう。人間が生きているという単純な事実、誰も否定できないその事実に由来するものを求めよう。そしてそれはいかにも逆説的になるのだが、それはわれわれ島人が先祖代々何も言わずに徹底的に無能力なままあわれな日々の生活によって織りなしてきた虚無とも言うべき、明るさ、である。切なさ、である。清らかさ、である。
その明るさ、切なさ、清らかさ、に言葉と韻律を与えること、そのベ虚無、を思想的論理的に方法化すること、これが私の課題であった。
(「あとがき」より)
目次
- 嘆き村
- 聖餐
- 別れ
- 生き仏
- 死に仏
- 散歩
- 亀
- 兆(しる)し
- 伏流水
- 馬食(うまほ)い
- 屋根
- しらはえ
- 十三夜けむり
- オン
- 先生
- 時や春
- 方角
- 直撃弾
- 夢逢え
- 宿痾
- 異形
- 沈黙
- 遊行
- 夢落下
- 季二題
- 短詩三唱
- 影
- 頂点
- 化石
- 無垢
- こえ
- 半島
- まぼろし
書評等