1983年7月、砂子屋書房から刊行された季村敏夫(1948~)の詩集。装幀は倉本修。
しずかな、おだやかな夕暮れだった。初夏のひととき、みんなそうおもっていた。みんなも確かにそう感じていた。耳をすました10個の風船玉が、つるつるの球面を破ることなく、軽やかに、軽やかにすべっていく帰り道だった。中也の葱の匂いは、こんな空気のあわいをいうのかな、とおもったりしていた。さまざまな光をまき散らしながら、はずんでいく10人の風船玉。そのなかの、小さな小さな、やっとこさからだを支えている少女にぼくは吸い寄せられた。ちびちゃんの風船は、今ほんとに自分だけの力で、実に軽やかに実にさわやかに薄明に染まずただよっていた。その光景が、いつまでもぼくのなかで揺れつづけた。坂戸で過した、去年の初夏のことだ。
文憲さんのひと粒だね、夢のなかの名もない流れのふっくらあんょに、ささやくようにささやかれるように、ぼくはスロースナップを放っていった。軽やかに、たわむれることができたかどうか……。今、隣りの部屋から、わが家の腕白どもの寝息がこぼれてくる。スヤスヤむにゃむにゃ。小便もらすな、寝息よ波に。ブラインドの向うを、ニセアカシアの白い花の房が揺すっている。<ただなかから>ではなく、あわいから、空いたところから、ずれたところから、<ただなかに>ではなく、スクリーン越しに、粒々の逆光のスクリーンを隔てて、集めたまなざしを一瞬もやすことができたかどうか……。聖性を絶たれた道草ばかりの、十何年目を迎える。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
Ⅱ
- まひるの放火
- 空に吸いよせられて
- 葱坊主のころ
- 驟雨のあと
- 荷担
- 母子像
- 落柿舎
- 須磨にて
- 棺のなかから
あとがき
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