死の国の姉へ 雨と花との季節から 井奥行彦詩集

 2012年5月、青樹社から刊行された井奥行彦(1930~2019)の詩集。著者は福岡県生まれ、「火片」発行人。刊行時の住所は岡山県総社市。詩人なんば・みちこの夫。

 

 この詩は私が編集・発行している同人詩誌「火片」五十四号(一九六六年〈昭和四十一年〉発行)に掲載し、同誌一五九号(二〇〇六年〈平成十八年〉発行)に、少々の推敲を加えて再掲載したものです。初出以来四十五年を経た作品です。
 姉は一九二九年(昭和四年)生まれで、私より一歳年長でした。一九五四年(昭和二十九年)に胃癌で死亡しました。
 福岡県の東唐人町で出生、岡山県立第一岡山高等女学校を経て、岡山県立岡山保育園専門学校を卒業し、岡山県吉備町の町立吉備幼稚園に在勤中、胃癌で夭折しました。享年二十五歳です。
 最初は地元医に腹膜炎と診断されましたが、岡山大学病院で胃癌とされ、判明した時には既に手遅れでした。今であれば、早期発見もできるし、胃を全部切除して助かっている例もだんだん聞かれます。
 死の日は、あざやかにあちこちバラが咲く五月十五日、明け方でした。
 死の一週間ばかり前、ベッドで、私を抱き締めて「私をいつまでも覚えていて!」と言い、私は即座に「うん」と答えましたが、考えてみると私にも永遠に記憶することは出来ないのです。葬送の日には園児も沢山参ってくれましたが、今だって、あの児らが姉のことを覚えているとは限りません。そこで、私は姉のことを詩に書いておこうと思ったのです。もし詩に何らかの価値があれば、姉への記念の鎮魂になるやも知れません。詩は姉の死後十二年経ってやっと数編を書きましたが、数編と言っても内容に重複が多くて結局この一編のみをここに収めることにしました。
 たった一つ年上であっても姉は姉、幼時から姉は幾度か私をかばってくれていたことがありました。
 姉の死からもう五十四年、最初にこの詩を書いてから四十五年。当時の情景はすっかり古くなっています。花々だって、今はこんなに沢山咲き乱れることはありません。政情も、日本の国情も変わり果てました。しかし、情景も国情も手直しせずに発行します。記録として残す方がよいと考えているからです。今は、人類は自然をずいぶん改造しています。人類が自然より優位に立っているつもりですが、昨年三月十一日以来、自然は人間をはるかに超えるものであることも知らされました。
(「あとがき」より)

 

 

井奥行彦、なんば・みちこ夫妻の功績たたえる碑建立 県内の詩壇をリード 総社・宝福寺 /岡山(毎日新聞)

 

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