
1973年6月、童心社から刊行された千野敏子の手記。編集は三井為友。若い人の図書館。
九死に一生というが、生還ののぞみはなかったのに、戦後一年ちかくして、私は故郷の土を踏んだ。そしてまもなく、土を踏んだ。そしてまもなく、千野敏子(ちのとしこ)の入院を聞いた。戦線みやげの熱帯マラリアの続発で見舞いもかなわぬうちに、亡くなったことを聞いた。半月ほどして墓参に訪ね、ご両親から示されたのが真実ノート四冊である。両親のご意志に添い、これを『葦折れぬ』と名づけて刊行したのが、一年後のことである。
さいわいよく売れた。数年で十数版を重ねた。敏子の遺志の「ひそやかな碑」が、読者の自発的寄金で高原にできたのが、初版一年後であった。碑には「真実は悲しきかな、それはついに反逆視せられ」と刻んだが、拓本等で磨滅した。
発行所の大月書店は、その後読者の熱望にこたえて、日記、作文等をくわえ、増補版を出した。一九五五年には大月新書の一冊にもした。六三年には、学習研究社の『高一コース』別冊附録として抄本が出た。この時も予想外の反響であった。
敏子の母の意志で、学習研究社の謝礼金が碑の再建にあてられた。今度は敏子の病床の絶筆をブロンズに刻み、拓本に耐えるものにした。今は敏子の母も逝き、いっさいの肉親が絶えた。そこでこれまで碑の維持に尽力された大月書店主小林直衛氏に感謝しつつ、ここに童心社の求めに応じ、こんどは私の責任で用字用語を整理し、定本『葦折れぬ』として刊行することとした。
なお、この新版を編むにあたって、文中、注釈を必要とする個所は、[]内、および、各ノートの末尾に簡単な説明をくわえた。
(「はじめに/三井為友」より)
目次
はじめに
- 真実ノートⅠ
- 真実ノートⅡ
- 真実ノートⅢ
- 真実ノートⅣ
私の青春の日の少女 一読者として 早乙女勝元