1983年9月、編集工房ノアから刊行された塔和子(1929~2013)の第7詩集。装幀は栗津謙太郎。
私達は、もぎたての果実を前にしたとき、その果実が、つながっていたいのちの木をはなれて、そこに在るという現実は、果実が着果する前の闇、そして、熟した新鮮さの頂点から、しなび腐敗がはじまり、また闇にかえるという行程へのはじまりであるということを、その水々しさと、あたらしさの故に忘れています。
そして、そのことは、果実ばかりではありません。母の胎に、私がはじまる前の闇から、私が生を受けた瞬間、私の上にもはじまり、この世に生を受けた、生きとし生けるものの上にもはじまっています。私はふと、そのことを思います。しかし私には、忘れるとか、錯誤とか、誤謬といった恐怖からの救いが、うまくそれをごまかしたり、あやしたりして、私を、あるいは楽しく、あるいは幸せに、あるいは快くさえ生きさせてくれます。
それでも、その巧妙な錯誤のもやの中から、あるとき真実は厳然として姿を現し、私に、莫然とした不安の正体を見せてしまいます。私は産まれる意志もなく産まれ、消える意志もなく消される運命にある、ほんのわずかな時間を在らされている自分が、生の本然に目を向けるとき、投げ返されてくる答えを、ここに書き記して見ました。
ここに収めました作品は、一九八〇年に出版いたしました「いちま人形」以後の作品です。また、私はいままで詩の中に、らいという言葉を使ったことがありませんでしたが、此の度は、自分の生活している足場であるらい園に、らいが治ったいま、どのようにしてかかわり生きているのか、ということを、自分自身に問いなおすという意味で、少し書いてみました。
(「後記」より)
目次
Ⅰ
- 雲
- 梨
- 五月
- うっすらと
- 太陽たち
- 惧れ
- 召天
- 白い闇
- 海
- 形のある間
- 日常
- メッセージ
- 真空
- 指
- いのち
- 水
- ひとつの夜
- 呼ぶ
- 鬼女
- 吠える
- 水仙
- 吐く
- 受信機
- 光
- 球根
- 言葉
Ⅱ
- 深い口
- 病
- 秋
- 風紋
- 川底
- 死神様
- 帰郷
- 遠くからの声
- 冬の私
- 静かに
- 目覚め
- 無痛
- 輪
- 果実
- 蝉
- つき動かされなければ
あとがき