ハンセン病文学
1975年11月、草津公論社から刊行された横山石鳥の歌集。 この歌集は、私が昭和二十二年(二十二オ)群馬県草津町にある国立療養所栗生楽泉園に入園したとき以来、昭和三十四年(三十四才)までの十三年間の作品から、五百二十二首を収録した。そのうち昭和三十三…
1979年4月、古川書房から刊行された津田治子研究書。共同著者は、川合千鶴子、成瀬晶子、福原滉子、枡本良。 目次 序歌 五味保義 序に代えて 內田守人 津田治子と言いそむ 鶴田ハルコ 回春病院――ミス・ライト 短歌との出逢い 肉親(一) 肉親(二) 肉親(三…
1976年5月、村松武司の梨花書房から刊行された古川時夫(1918~)の歌集。著者はハンセン病患者。刊行時は国立療養所栗生楽泉園入所中。 ハンセン氏病(らい)の歴史は永く、それはまだ終ってはいないし、社会的偏見と差別の夜は明けていません。しかし私たち…
1979年5月、多磨盲人会から刊行された会員アンソロジー。編者代表は多磨盲人会記念誌編纂委員会汲田冬峯。 目次 『望郷の丘』発刊にあたって 汲田冬峯序文 大西基四夫 ・第一部 明治四十二年――昭和十年頃 杉山かく 土葬 騷動 慰安、娛樂 高田サオリ 大楓子油…
1951年11月、長島愛生園慰安会から刊行されたアンソロジー詩歌集。 長島の人々は甘年前にこの島に愛生園が誕生した時からすでに詩の発足をしていられ、昭和十一年には「長島詩謡」第一輯と云う立派な詩集を出していられる。それは光田園長先生及び當局の方々…
1976年3月、蝸牛社から刊行された塔和子(1929~2013の第4詩集。題字は大岡信、装幀は渡辺隆。 私にとってこのかけがえのない一回きりの生は、遠い始祖からの血の流れの中で、生まれ死に生まれ死に、際限もなく受けつがれて来た、ひとつぶの層によって在らし…
1988年11月、編集工房ノアから刊行された桜井哲夫(1924~2011)の第1詩集。カバー装画は加藤祐司。編集協力は社団法人好善社。 桜井哲夫の詩 村松武司 草津の療養所、栗生楽泉園に桜井哲夫という詩人がいる。彼の年齢は一九二四年生れというから、いま六十…
1956年5月、新評論社から刊行されたハンセン病患者の生活記録アンソロジー。編集は堀田善衛と永丘智郎。カバー装画は永丘智行。2003年に新評論からオンデマンド版が復刊された。 ある日、慰問をかねての講演を終えてから、わたくしは、全生園の研究室で、こ…
1996年4月、海鳥社から刊行された風見治(1932~2018)による短編小説集。表紙カバー絵は著者による「アンガマの面」。1986年、「鼻の周辺」で第17回九州芸術祭文学賞受賞作品。著者は長崎市生まれ、1952年に菊池恵楓園に入園。1962年に星塚敬愛園に移った。…
1953年7月、大島青松園協和会文化部から刊行されたハンセン病句集。 私等の詩碑として、五百二十二句を再び世に送る事の出來ますことは此の上もない欣びであります。 本句集は昭和十一年に発行されました、「邸山句集」に次ぐ第二句集でありまして、量質共に…
1980年11月、皓星社から刊行されたハンセン病合同詩集。 栗生楽泉園の詩話会の合同詩集『くまざさの実』が刊行されてから七年経った。そのときの詩人のうちの六人に、新たな詩人四名が加わって、今回の十人詩集『骨片文字』が編まれることになった。新たな詩…
1969年11月、私家版として刊行された塔和子(1929~2013)の第2詩集。題字は宇留野清華、装画は二葉由美子。 私にとって、この現実はすべて詩を産むための母体でした。苦しいときは苦しみを養分にして悲しいときは悲しみを養分にして詩をみどもり、まるで月…
1939年10月、婦女界社から刊行された明石海人追悼アンソロジー。編者は内田守人。題簽は光田健輔。 目次 ・明石海人追悼篇 宿命の歌人明石海人の一生・虫明邦夫 病友明石海人の思ひ出・山口義郞 聖純なる友情・春野雪彥 宿命の夫を悼む・明石春子 ・病者手記…
1957年11月、出版書肆パトリアから刊行されたハンセン病小説アンソロジー。著者代表は国立療養所邑久光明園創作会、編集は木島始。 ……白い砂、青い松、ないだ海、あたたかい微風、なだらかな坂道、……わたしは小島を一周してそれから文芸会のひとびとと話をす…
1980年6月、小峯書店から刊行された松村好之(1911~)による明石海人の評伝。装幀は島村晴雨。著者は香川県大川郡生まれ。1926年、15歳でハンセン病に罹患、明石楽生病院に入院。病院閉鎖に伴い、20歳で愛生園に転園。 目次 序 しのびよる病魔 見しらぬ里へ…
2007年6月、私家版として刊行された久保田穣(1934~2014)によるハンセン病詩論集。編集はノイエス朝日企画編集部。第9回小野十三郎賞特別賞受賞作品。 目次 海抜三千尺―陸の中の離島―栗生楽泉園 加藤三郎詩集『僕らの村』 ユーモアと向日的な明るさ 小林弘…
1940年3月、山雅房から刊行された邑楽愼一によるハンセン病診療手記。 目次 1 レプロローグの手帖 A ちづ女 B 夜風 C 輸血 D 愛憎 E 浮浪癩者 F 縣君 2 逃亡者 3 収容病棟物語 4 黎明 5 窪地の家その他 A 窪地の家 B 噂 C 牢獄の心 6 虹立つ谿 7 欧州…
2017年8月、編集室水平線から刊行されたハンセン病詩人評伝。装画は池野清「鳩笛たち」。 目次 はじめに 第一章『いのちの芽』のあとさき 多磨全生園 山下道輔さん、国本衛さん 『いのちの芽』にいたるまで――「園内文芸運動の隆盛 理解者をつくろう らいはア…
1952年7月、宝文館から刊行されたハンセン病文学アンソロジー。 ハンゼン氏病菌(癩菌)は、人類の発生と同時に、世界に存在したようである。人体の皮膚粘膜、末梢神経に好んで寄生して、人間を苦しめて来たものであり、人の面皮を破り、手足の自由を奪い、つ…
1983年9月、編集工房ノアから刊行された塔和子(1929~2013)の第7詩集。装幀は栗津謙太郎。 私達は、もぎたての果実を前にしたとき、その果実が、つながっていたいのちの木をはなれて、そこに在るという現実は、果実が着果する前の闇、そして、熟した新鮮さ…
1953年4月、三一書房から刊行されたハンセン病詩人アンソロジー。編者は大江満雄。 目次 厚木叡 伊藤秋雄 田所靖二 北川光一 石川淸澄 宇津木豐 右川斗思 盾木弘 國本昭夫 氷上惠介 奧二郎 白浜浩 船城稔美 生多純 梶澄夫 多岐葉一 比良田信吉 館裕子 深山裕…
2014年6月、塔和子の会から刊行された追悼集。代表は川崎正明、編集は石塚明子、涸沢純平、長瀬春代。 目次 はじめに 川崎正明 Ⅰ 塔さん ありがとう! 河本睦子 出会い 石井英子 永遠の乙女 相川栄蔵 塔和子さんを送る 川崎正明 詩の神様 彩音まさき 塔和子…
1980年8月、花神社から刊行された塔和子の第6詩集。装画は新井豊美。 生きているという、私の生身は常にいやおうなく満干を受け止めて在らされています。 そして私は、かわいたときの痛みや満たされているときの喜びの中で、さまざまなことを考えますが、自…
1978年8月、花神社から刊行された塔和子の第5詩集。装画は新井豊美。 闇と光と闇と、いま在るということは、産れない前の闇と、存在を頭にしている光の時間、そして、やがて死滅し帰るであろう、闇の間に置かれている、しばらくの光の中にいる、また在らされ…
2002年1月、土曜美術社出版販売から刊行された桜井哲夫の第5詩集。装幀は林立人。写真は権徹(ゴン・チョル)、肖像は安藤真樹。 目次 Ⅰ 拭く 「私は侵略者」 屈折 追憶の川 お辰ばあさん ヤヨイの手紙 車椅子が走る Ⅱ 謝罪の旅 カササギの森 カササギの家 …
1994年5月、土曜美術出版販売から刊行された桜井哲夫の第3詩集。装幀は居島春生。 視覚障害者である私には文字がない。文字を持たない私の詩は、すべて代筆者によって文字となり詩となるのです。 詩作を始めて十年、第一詩集『津軽の子守唄』、第二詩集『ぎ…
1960年1月、白玉書房から刊行された津田治子(1912~1963)の第1歌集。昭和4(1929)年、18歳でハンセン氏病に罹患。 明治四十五年春に佐賀縣松浦郡に生れた私は、父母の離郷とともに幼にして、福岡縣飯塚に於て成長いたしましたが、十八歲の春病にかかり、…
1947年11月、新教出版社から復刊された小川正子による長島愛生園に関する手記。元版は1939年長崎書店版。 目次 序 高野六郞先生序 下村海南先生序 光田健輔先生跋 土井晩翠先生夫人 土佐の秋 再び土佐へ 國境の雲 淋しき父母 阿波の講演旅行の歌 小島の春(…
1980年5月、雁書館から刊行された光岡良二(1911~1995)の第3歌集。装幀は小紋潤。 歌集は歌だけでよく、どんな文もつけ加えず、ただ作品だけを黙って差し出す、というのが、私の本つくりの年来の憧れであるけれど、そのような幸いは、名もない歌つくりの私…
2009年9月、新教出版社から刊行された東條耿一(1912~1942)の詩文集。装幀は桂川潤。 はるか昔のことになりますが、私は北條民雄に関する小文を書きましたが、そのなかで東條欺一の名を知りました。この人は北條の無二の親友で、多磨全生園を代表する詩人…